傷はまだ癒えず

このたびの震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様に対しまして心よりお見舞い申し上げます。


ツイッターでのちょっとしたつぶやきなら書く気になるのですが。
ブログはなんだか書く気が起きず。
でも、記録しておいたほうが良いんだろうな、と思って書き留めておきます。


3月11日 14時46分。


私は大手町寄り神田の会社のオフィスにいました。
久しぶりのお外ランチに出かけ、金曜日だったし、まったりモードでパソコンに向っているところでした。


何も変わらない、いつもの金曜日だったはずなのに。


突然、それは細かい縦揺れから始まりました。
人生初めての縦揺れです。
直感的にこれはまずいんじゃないか? と感じましたが、すぐに否定し、いつもの地震と変わらないに決まっている! と思い直した直後、大きな横揺れがビルを襲いました。


私のオフィスは7階で、地上と較べると多少揺れ幅はあるとは思うのですが、まるで船の上にいるような横揺れです。
そのうち、物が落ちる音が辺りから聞こえました。
同じ部の女性のパソコンの本体がデスクから落ちました。
私は思わず立ち上がっていたのですが、周りを見てみると人がいません。
どうやら皆、デスクの下に避難していたようです。
天井が落ちなかったから良かったものの、私もデスクの下に隠れるべきだったと、これは後になって反省しました。


揺れは2分弱ほどだったでしょうか……。
頭の中が真っ白になってすぐにネットで震源地を調べました。
宮城、とありました。
東京でこの揺れですから、宮城ではどうなっているのだろう、とふと不安になりました。
ちょうどツイッターを出しっぱなしにしていたので、すぐにツイッターでも情報収集を始めました。
震災前にツイッターを始めていたことはとてもタイミングがよかったようで、この件は綾辻先生に感謝です。


とにかく、その後はフロア内の被害状況を見て周り、社員の確認に奔走。
その日はちょうど大きな研修があったので、全社員の無事を確認するのに少々時間がかかってしまいました。
そのうち、九段会館の天井が落ちたようだ、と同じ部署の女性が口にしました。
そして、昨日のこの時間、私はそこにいた……、と言って絶句。
人生というのは、本当に危うい。紙一重です。


そして、そのうちどうやら電車が止まっているようだ、との情報も耳に入りました。
この時点で、社内には特に統制する者がおらず、今後どうすればよいのか方針が全く決まっていませんでした。


動揺して座り込んだままの人。
何人かで話している人。
ネットに釘付けの人。
冷静さを保つためか、仕事を続ける人。


この時、携帯はもちろん、固定電話も通じていません。
唯一通じたのはツイッターとパソコンメールだけでした。


私の旦那さんは同じ会社の人で、働いている場所が私は本社、旦那さんは数百メートル離れた親会社、とちょっと違うのですが、パソコンメールでスムーズにやりとりすることができ、問題なく合流できたのは本当に幸いでした。


地震発生から1時間後の午後4時頃。


ようやく皆が冷静になった。
……のは良いのですが、帰宅について問題が重く圧し掛かってきました。
どの電車も止まっていると言うのです。
会社に泊まるか、徒歩で帰るか。
二択です。


私は自宅とにゃんこが心配だったので、旦那さんと徒歩で帰宅することにしました。
後日聞くと、会社に泊まった人も多かったようです。


ここで、実は私は1冊のすごい本を手にしていました。
それは、数年前に流行し、私も買ったまま会社に置きっぱなしにしていた「帰宅支援マップ」です。


一生使わないだろう、と思っていたマップ。
本当の本当にそう思っていたんです。
でも、11日は、それを片手に徒歩で我が家を目指して帰宅する自分がいました。
今でも会社から徒歩で自宅を目指したあの日が信じられません……。


そして、それは大手町から始まりました。
とりあえず目指すは北千住。
秋葉原、上野、と歩き、ひたすら北東に向って一直線の強行軍です。
日没までには、すでに1時間を切っていました。


会社を出ると、歩道は同じく徒歩で自宅を目指すサラリーマンやOLで埋まり、空にはヘリがたくさん飛んでいました。
皆、地図を片手に不安そうに歩いています。
防災リュックを背負ったり、ヘルメットを被った人たちもいました。
私たちも防災用品を各自の鞄に詰め、歩き始めました。


いつもはガラガラの歩道なのに、車道にまで人が溢れ、一種異様な雰囲気。
車ももちろん大渋滞です。
後でこの強行軍を救ってくれたタクシーのお兄ちゃんの談ですが、メイン道路はどこもひどい渋滞で、1時間で400メートルほどしか動けないところもあったそうです。


――秋葉原、上野、と歩き、あとは国道4号線をとにかくひたすら真っ直ぐ。
人は全然減りません。
そのうち、入谷辺りで完全な日没を迎えました。
それでも私たちは二人だったから、まだマシでした。


後で同僚に聞いたところに寄ると、誰に聞いても、複数で歩いているうちは良かったと言いました。
完全に方向が一致するわけでもないので、歩いているうち、一人欠け。一人欠け……、と徐々にお仲間が減っていくのです。
最後に一人になった時には、ひどい疲労が襲ってきた、とのこと。
暗い中、あの異様な雰囲気の中一人で帰宅するのはそれはそれは不安でしょう。
私たちは本当に恵まれていました。
そして……、ずっとしりとりをしながら歩いていました^^;


歩き始めてから約2時間半。
とうとう北千住に到着しました。


北千住に入ると、まず松尾芭蕉の像が私たちを迎えてくれました。
そうか、芭蕉もこの道を……と感慨に耽りながらさらに北千住駅を目指します。
しかし、この地は決して安寧な地ではなかったのでした……。


それどころか、この下町は、都心より混乱していました。
北千住駅がクローズしてしてしまったので、人が右往左往しているのです。


が、とにかく私たちは2時間半歩き詰めで足がぱんぱん。
どうしても休める場所が欲しかったの。


それなのに、駅ビルが閉まっている……。
近隣のファミレスもガスが出ないとクローズしているところが多数。
開いているお店があったとしても、長蛇の列です。
しかし、私たちは粘りました……。
北千住でどうしても休憩がしたかったのです!


すると粘りが功を奏して、どうにか比較的空いているすき家の、カウンター席の隅に座ることができたのでした。
が、すき家の店員も混乱しており。
なんとここで私、店員に水をぶっかけられるという二次災害を経験してしまいました……。しーん………。


で。
すき家にはひっきりなしに客が入るのは当然として、恐らく会社に泊まる人達用なのでしょう。テイクアウトもがっつりオーダー入っている。
そして店員さん、慌てふためく。
まあ、お疲れ様でした……。


腹ごしらえできた私たちですが、もう歩く気力がなく、あとはバスに望みをかけることにしました。
しかし、当然のことながらバスも長蛇の列。
そして当時、それはそれは厳しい冷え込みだったのです。
今考えると本当にダッフルコートを着ていって良かったなぁ、と思います。


そして、ずいぶん長い間待ちました……。
バスが来ない……。
しかし、ここでどこかの社員さんが、バスを待っている人たちに無償でホッカイロを配りに来てくれたのです!
なんとありがたかったことか。
緊急時のこの心配り。
人の温かみを感じ、辛い中でもほっこりした気分になれました。
あの時の会社の方、本当にありがとうございました!!


結局バスは、希望のバスに乗れず。
とにかく自宅まであと二十数キロもありました。
そこで私たちは、とりあえず来たバスに乗り込み、そのうちの数キロを稼ぐことにしました。


が、降ろされたのはやはり見知らぬ土地……。
タクシーも見つかりません。
というか、すれ違うタクシーは乗車済み、もしくは回送のみです。
仕方が無いのでまた家を目指して足を進めました。


後から聞いたところによると、人間は一日にせいぜい20キロ歩くのが関の山だそうです。
震災当日、私は偶然ヒールではなく助かったのですが、それでも歩くのに適さない靴です。
なので、歩くのは本当に辛かったです。
それでも前に進まなくちゃいけない……。
会社に泊まった方が良かったのかな、とふと脳裏に浮かびもしました。
しかし、それはもう遅い。
とにかく前に進むしか帰る道はないのです。


絶望して、徐々に元気もなくなってきたその時。
一筋の光明が私たちの前に現れたのです!!


目の前でタクシーが「支払」をしている!!
旦那が駆け寄りました。
運転士さんは……。


良い人でした(T_T)
そこから自宅までちょっと遠かったけど、よし! という感じで乗せてくれました。
しかし、聞くところによると、その日は思った通り一日走りっぱなしだったそうで。
いや、恐ろしい渋滞にはまったそうだから、走りっぱなしでもないのだろうけど、とにかく、疲労困憊していたと思います。
でも、乗せてくれたのです!!!!
本当に本当に奇跡的な出来事でした。


それからは恐ろしい渋滞にはまることもなく、無事自宅へ到着……。
会社を17時に出て、自宅に到着したのは深夜1時でした。
自宅では物がずれたり落ちていたりはしたものの、にゃんこも無事。
ゆっくりお風呂に浸かって、長い長い一日は終わったのでした。


しかし、それは始まりに過ぎなかったのでした。
震災の傷はまだ開いている。
続いています。
これから良い方向に、復興に力強く向かってくれることを心の底から祈って、以上を震災当日の私の行動記録としたいと思います。


私も東北と縁のある人間です。
東北の人たちは本当に素朴で我慢強い人が多いんです。
泣けてきます。
私、個人の力ではすごい援助なんて何もできないけれど、ずっとずっと祈ってます。
有名人に較べるとほんの砂一粒程度かも知れないけれど、募金も継続的にさせて頂きます。
東北、応援しています!!!